観善小学校
 
 明治九年、現在華頂会館のある場所とその裏側の墓地(寺町)一帯に、新町小学校の前身にあたる観善小学校が設立された。 それまでの寺町は円徳寺に郷学校が置かれていたり、東光寺には私塾(河原文水塾長)が開かれたりしており、教育の中心地であった。

 この観善小学校が西富田地区の子どもたちを迎え、新しい学校として、明治十九年十月一日「新町尋常小学校」と校名を改め、現在の地に発足した。

 観善小学校が設立される一年前の明治八年十月、現在の弓町に長勁小学校が創設された。 この長勁小学校は翌年十月に西富田小学校と改称し、さらに明治十四年七月に東冨田小学校(現在の冨田小学校)と合併し、東冨田小学校西富田分校となった。

 西富田小学校(分校)は、明治十九年十月に新町尋常小学校に編入され廃校になり現在にいたっている。 長勁小学校・西富田小学校についての正確な資料は、現在持ち合わせていなく不明である。