国瑞彦(くにたまひこ)神社

文 化 遺 産

 文化三年(1806)に藩主治昭が、藩祖蜂須賀家正を祀るために創設した。 明治四年、最後の藩主茂韶(もちあき)が東京へ移転の際、歴代藩主と有功の士十二人を合祀した。 境内に石垣を築き城郭を思わせるような構造の神社であったが、第二次世界大戦で建物は消失し、石垣の一部を残している。 現在は昭和六十三年四月に建てられた社殿がある。 道路に面して残されている四角い石垣が藩政時代の面影を残している

 江戸時代には蜂須賀氏により崇敬され、祭祀料として銀三貫十匁の奉納を受け、明治維新後は祭典費に三百円が奉納され、社殿の修復なども蜂須賀氏が行ったという。 戦災で神門と石垣の松林を残して消失、戦後、徳島県神社庁建設の際に石垣の大部分が除去された。

 瑞巌寺山門には神門の一部が再利用されているという。