徳島佐香和洋裁縫女学校
 
 佐香ハル(人物欄参照)が一九〇三年(明治三十六年)東京神田三崎町に創設した私立和洋裁縫専門学校が、一九〇五年に徳島市富田浦町幟丁(現在の徳島市幟町一丁目)に移転した。 これは郷里徳島の要望にこたえて幟町の自宅を改造したもので、徳島県で村崎裁縫女学校、佐藤裁縫女学校、山田裁縫女学校に次ぐ歴史を持っている。

 一九二四年(大正十三年)に発布された実業学校令により中学校に昇格し、名称を佐香和洋裁縫女学校とした。

 さらに師範科を置き、裁縫専科教員免許状を取得した裁縫教員を世に送り出した。

 一九三〇年(昭和五年)に、女子職業教育とともに普通科教育の重要性を認識され私立香蘭女学校を併設した。 この香蘭女学校は、太平洋戦争による昭和二十年七月四日未明の徳島大空襲により焼失し、戦後校舎を徳島市北前川町一丁目に新築した。 一九四八年(昭和二十三年)、学制改革に伴い校名を香蘭高等学校と改称し現在にいたっている。

 佐香和洋裁縫女学校は、一九四四年(昭和十九年)に佐香女子商業学校と改称したが、一九四六年(昭和二十一年に廃校となった。