徳島市富田中学校
 
 戦後の教育改革により六三三制の学校教育が始まり、新制中学校が発足した。 西富田地区の子どもたちは新町小学校を卒業すると、付属中学校進学者を除いて全員富田中学校へ進学した。

 富田中学校は、昭和二十二年四月一日に発足した。 富田中学校は、日本国憲法が施行された五月三日に県下一斉に一四九校が開校したその一校であった。 しかし、当時大慌てで開校しており校舎はまだ建設されていなかった。 そこで冨田小学校に間借りしての中学校であった。

 富田中学校建設に当たっては、用地をどこにするか様々な案があったが反対運動もあり用地獲得に難渋したということである。 いろいろ検討の結果、現在の地にあった徳島大学医学部の前身である医専校舎(昭和十九年ごろの建築)に移転した。

 富田中学校の創立記念日は、通常であれば五月三日になるところであるが、昭和二十四年四月二十日に当時の三年生が移転し学習を始めていたので、四月二十日を創立記念日としている。

 校訓である「友愛自律 互敬互譲」は、当時の岡本優太郎初代校長の手によって昭和二十六年三月に作られ、現在にいたっている。

 医専校舎から出発した校舎も順次建設が進められ、また改善整備を繰り返し現在の姿になったのは、平成五年度である。 平成九年には創立五十周年を迎え、同年六月二十二日に「創立五十周年記念式典」を開催している。

 昭和二十六年秋に、「新制中学校創立五十周年記念体育大会」が西の丸運動場(現在の内町小学校と東側)で開催された。 この時初めて富田中学校応援団が作られ、初代応援団長に三年生の岩佐重明さん(幟町)が就任している。 当時作られた応援歌「まゆあげて」(清重節男先生作詞、撫養光男先生作曲)が歌われ現在にいたっている。 この時、犬伏清重先生と清重節男先生の指導で人文字を作っている。 広い西の丸運動場観覧席の富田中学校席に、白の体操服を着た生徒に交じって黒学生服で「トミダ」の人文字を構成し周囲を驚かせている。